こんにちは。中井健介です。
この記事では僕自身の経歴・プロフィールなど自己紹介をしていきます。
中井健介の基本情報

氏名 | 中井 健介(NAKAI KENSUKE) |
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生年月日 | 1989.07.04 |
身長/体重 | 166cm/59kg |
出身地 | 兵庫県 |
血液型 | A型 |
ニックネーム | ケンコス |
利き足 | 右 |
趣味 | カフェで読書 |
好きな漫画 | ファンタジスタ フットボールネーション HUNTER×HUNTER 鬼滅の刃 ONE PIECE |
好きな有名人 | 木村拓哉さん 窪塚洋介さん 武井壮さん 小玉歩さん |
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中井健介の経歴
- 小中学生:FC西神
- 高校:滝川第二高校サッカー部
- 大学:専修大学サッカー部
- 2012年 ペスカドーラ町田 アスピランチ入団
- 2013年 ペスカドーラ町田 トップチーム昇格
- 2016年 全日本フットサル選手権優勝
- 2017年 日本代表合宿に招集される
- 2018年 ペスカドーラ町田退団
- 2019年 自らが選手兼監督を務めるFC NAKAIを立ち上げると、YouTube番組「目指せ!Fの頂」が総再生回数400万を超える。
- 2020年 FCNAKAIとしてSAS INTERNATIONAL CUPに招待を受け、地元マレーシアのパハン・レンジャーズを撃破し3位
- 2022年 ブラジルのプロ・フットサルカンピーナでプレー
- 2023年~2024年 ZOTT WASEDA でプレー
- 2025年 『キングス・ワールドカップ・ネーションズ2025』の日本チーム監督を務め、ベスト16進出
以下で少し細かく説明していきます!
落ちこぼれサッカー選手からのスタート【滝川第二高校サッカー部での日々】

僕のフットボール人生は、決して順風満帆なスタートではありませんでした。
高校時代、僕はサッカーの名門・滝川第二高校に入部しましたが、学年で唯一の一般入部でした。本来ならばセレクションを通過しなければならないところ、僕は不合格。しかし、どうしても滝川第二でサッカーがしたかった僕は、中学時代のクラブチームの監督を通じて高校の監督に直談判しました。すると、「3年間試合に出られなくてもいいなら入部を認める」との返答。この言葉を聞いて、僕は迷わず入部を決めました。
当然ながら、チーム内では補欠中の補欠。技術的にもチーム内で最も劣っていました。しかし、その劣等感が僕を突き動かしました。「誰よりも練習するしかない」と決め、パスの回数、シュートの本数、走りの距離、すべてにおいて人一倍取り組みました。自主練習は最後まで残り、走りのトレーニングでは必ず一番を目指す。そうしてひたすら練習を重ねた結果、高校2年生でトップチームに昇格。
「量より質」という言葉がありますが、僕はその両方が大事だと思っています。目標に向かって努力を積み重ねる中で、どうすればもっと効率的に成長できるのかを考える。僕にとって、この高校時代の経験が、その後のフットサル人生における大きな糧となりました。
サッカーの挫折と偶然出会ったフットサル【ペスカドーラ町田入団】

高校卒業後、僕はプロサッカー選手になる夢を諦めず、関東1部リーグの専修大学へ進学。スポーツ推薦ではなく一般入試だったため、大学でも最下層のEチームからのスタートでした。しかし、誰よりも走り、努力し続けた結果、半年後にはトップチームのスターティングメンバーに。これでプロに近づいたと思ったのですが、そう簡単にはいきませんでした。
2年生の後期から、プレーがうまくいかなくなり、AチームとBチームを行き来する日々。結局、卒業までに公式戦のピッチに立つことはなく、夢見たプロサッカー選手にはなれませんでした。
そんな中、3年の冬に偶然見つけたのが、フットサルFリーグのペスカドーラ町田のセレクション。迷わず挑戦し、100人近くいる中で「誰よりも走り、奪い、ゴールを決める」と自分の持ち味を最大限に発揮しました。その結果、代表と監督から「トップチームで入団しないか」と声をかけられたのです。
しかし、僕にはまだ大学サッカーが残っていました。「サッカーをやり切ってからまた話をさせてください」と伝え、卒業後に正式にペスカドーラ町田に入団。ここから、僕のフットサル人生が本格的にスタートしました。
何故かトップチームに昇格

フットサルを始めた頃の僕の目標は、日本一の選手になること、そして日本代表になることでした。しかし、現実は厳しく、最初の1年間はセカンドチームのアスピランチに所属。東京都3部リーグという、Fリーグとは程遠い環境でのスタートでした。
焦りながらも、試合に出るために努力しましたが、フットサル独特の動きや戦術に馴染めず、ほとんど試合に出場できずにシーズンが終了。さらに、父の死という人生で最も辛い出来事も重なり、精神的にも追い詰められていました。
そんな絶望の中、チームの代表と監督から「来季はトップチームに上げる」と突然の連絡。試合にほとんど出ていなかった僕が、なぜ昇格できたのか? その理由は、「セレクションの時点で実力は分かっていたから」。この言葉に救われる思いでした。
「チャンスが来たからには結果を出すしかない」。トップチームに昇格した僕は、必死に食らいつきながら、フットサル選手としての成長を遂げていきました。
フットサルの上達のきっかけ

トップチームに上がっても、すぐに活躍できるわけではありませんでした。しかし、アスピランチ時代と違ったのは、周りの選手のレベルが格段に高かったこと。ペスカドーラ町田には、フットサル界のレジェンドとも言える選手たちが揃っており、僕の動きが多少デタラメでも、彼らがなんとかしてくれました。
しかし、ふと気づきました。「僕は上手くなっているのではなく、周りに活かされているだけだ」と。そんな時、新監督・岡山監督の就任が転機になりました。岡山監督は戦術家であり、「クアトロ」と呼ばれる戦術をチームに導入。
僕は彼の影響を受け、自分のプレーを客観的に分析するため、試合や練習の映像を毎日見返すようになりました。動きの改善点を考え、修正を重ねることで、初めて「フットサルを理解できた」と感じました。こうした努力の結果、全日本選手権で優勝を経験。考えてプレーすることで、自分の成長を実感できるようになりました。
初めて心の底からフットサルが楽しいと思えた瞬間「FC NAKAI」

2019年3月、ペスカドーラ町田を退団し、新たな挑戦として「FC NAKAI」を設立。このチームを追いかけるドキュメンタリーYouTubeチャンネル「目指せ!Fの頂!」も立ち上げ、多くの方に応援していただきました。目標は全日本選手権優勝。そのために集まった選手たちは、フットサル経験者だけでなく、サッカー経験者や仕事をしながらプレーする選手も多く、マネジメントの難しさを痛感しました。
そんな中、大きな支えとなったのが、途中加入した石関聖の存在。彼の経験とリーダーシップのおかげで、チームは短期間で成長。トーナメントを勝ち上がりながら、僕は初めて「勝つことがこんなに嬉しい」と心から感じました。
約10ヶ月の挑戦の末、東京都大会で敗退し、チームは解散。しかし、この経験を通じて、選手だけでなく、人としても大きく成長できました。そして、フットサルの魅力をもっと多くの人に伝えたいという思いが、さらに強くなったのです。
FCNAKAI 2度目の挑戦

2021年。FC NAKAIの2度目の挑戦。前回の活動を活かして今度こそ全日本選手権で優勝するため活動を再スタートしました。優勝するための選手を「育てる」だけではなく「集まる」。誰もがこのメンバーだったら優勝してしまうんじゃないか。そう感じさせるようなチームを作りを最初から覚悟を持って進めていきました。
ですが、、、
最初に集まった厳選したメンバーはたったの6人。すぐにセレクションを行い、多くの方に来ていただきましたがメンバーに加入となったのは2人。合計8人でアマチュアフットサル界の競技が揃う『頂杯』に挑む形となりました。
結果は優勝。怪我人がでたり、まだ経験が少ないセレクションメンバーがいたりと不安定な中でしたが、関東リーグの競合ZOTT WASEDA、決勝では関西リーグのカンカンボーイズを破り優勝することができました。
FC NAKAIはこの後にも頂杯に出場し、毎度成長の機会をもらいました。それもかずかずの対戦相手との本気のぶつかり合いがあったからこそのものでした。東京、浜松、三重、佐世保とFC NAKAIの選手が増えていくたびに頂杯があったこと、ZOTTの清野さんに感謝しかありません。ありがとうございました。
選手が増えたと書きましたが、ファーストシーズンとは大きく違う部分でFリーグ経験、日本代表経験、そして何より全日本選手権で優勝経験している選手たちの加入はとても大きな力となりました。
ファーストシーズンから広樹。
セカンドシーズン最初からブラズーカ。
ブラジルからブルノ。
Fからシュウマ。
イタリアから岳。
そして元チームメイトであり、日本代表、選手権優勝経験もある薫さん。
経験豊富なメンバー、頂杯という素晴らしい環境に感謝しかありません。
しかし、、、
結果は関東大会で敗退。
体調不良や直前の怪我などもありましたか、自分の監督としての実力不足を感じた瞬間でもありました。
でも、、、
やってよかった。コロナで無観客の試合が多かったですが、YouTubeを通してたくさんの人に応援してもらえた経験は僕の財産です。皆さん本当にありがとうございました。
ZOTT WASEDAでプレー

目指せ!Fの頂の2ndシーズンが終わってから、僕は3ヶ月ほどボールを蹴ることはありませんでした。唯一の救いはオンラインコミュニティ『考えるフットサルの会』の月1オフラインイベントでメンバーに会っている時にのみボールを蹴る。そんな状態でした。
そんな中、ZOTT WASEDA監督の清野さんと食事に行くことになり、そこで話しているウチに『ブラジルに行きたい』そう思うようになり「じゃあ俺がサポートするよ。それまでらZOTTでプレーすればいい』そう言っていただきZOTT WASEDAへの入団となりました。
初の関東リーグ。
Fリーグよりももちろんレベルは落ちるものの、会社員や事業者として働きながら本気でボールを蹴る人たちと練習や試合をする事は今の僕にとってとても良い経験となりました。生活と競技のバランス。人生の中のフットサルの置き所は人それぞれで、それは僕も僕なりの置き所を改めるきっかけとなりました。
- 関東リーグ優勝
- 地域チャンピオンズリーグ3位
- FC NAKAIでは叶わなかった全日本選手権の全国大会への出場
素晴らしい経験をここでもさせていただきました。
中井健介は現在何しているの?
九州、怒涛の9連発クリニック&個サルが終わったー!最高に楽しかった!!
— 中井健介| Kensuke Nakai (@kensuke_nakai) July 12, 2023
福岡・熊本・鹿児島・佐賀!
子供から大人まで!
教えるのも、一緒に蹴るのも楽しいね。
さ、東京に帰ってきて、これからゾットクリニックや!これはこれでまた違う旨みが(笑)
行ってきます⚽️ pic.twitter.com/uF9SSJ7gce
キングスワールドカップ
— 中井健介| Kensuke Nakai (@kensuke_nakai) January 1, 2025
初戦
vsイタリア🇮🇹
3-1 WIN!!
応援、ありがとうございました。
みんなよく走った。身体を張った。
ナイスプレーだった。
次の試合は明後日。
vsアルゼンチン🇦🇷
応援よろしくお願いします。#KingsWorldCupNations pic.twitter.com/WtlTf3PVde
2025年2月時点ですが、、、
現在は、YouTubeの配信は行いながら、全国にフットサルのチーム指導やフットサル愛好家さんへのクリニックを行なっています。2022年は47都道府県を全て巡り、自分の目で日本フットサルの状況を見てきました。上辺だけの言葉ではなく、自分の目で見て感じたことを発信していきたい。その中で見えてきたもので自分は進んでいくんだと改めて感じました。
個サルが盛り上がっている地域、独自リーグが開催されて人口が増えている地域がある反面、競技チームが1/5まで減ってしまいリーグもできないくらい縮小する地域もありました。「フットサルが嫌いになってしまった」そんな言葉も聞いたことがありますが、そんな人が改めて好きになってくれるように、まだまだ発信していきたいです。
そんな活動もしながら、超短期間ではありますが、世界的に知名度が上がっている7人制サッカー【KINGS】の日本代表監督として活動も行いしました。世界から代表チームが集まり、全世界で配信。チームで立ち上げたYouTubeチャンネル【MURASH FC】で第一試合のイタリア戦を配信しました。なんと3日で70万再生、2000コメントという反響をいただき、フットサル選手としてたくさんの人に監督としての自分を見ていただきました。
これからも僕はフットサルを軸に、発信していきます。
僕が発信をする理由

「お前と試合に出たらフットサルにならない」
チームメイトにそう言われたことがあります。
これほど衝撃を受けた言葉は、これまでにありませんでした。
今でこそ、
「日本一になりました」
「トップリーグで活躍しました」
と、かっこいいようなことを言っている僕ですが、当時は悔しさのあまり、眠ることすらできませんでした。
この壁を打ち破るために、実践し続けたのが『考えるフットサル』です。
そして、それを世の中のフットサラーに広めることが、僕が発信を続ける理由の一つになっています。
発信を続けるもう一つの理由は、フットサルという めちゃくちゃ面白い競技 をもっと多くの人に知ってもらいたいから。
自分にできることは何かと考えた結果、SNSを活用して発信することを決めました。
ペスカドーラ町田に所属していた2013シーズンのホーム最終節。
その試合に向けて、選手同士で「SNSでみんなで声を掛け合って、お客さんを呼ぼう」と話していました。
当時からSNSは使っていましたが、フォロワーは1000人ほど。正直、「自分が発信しても意味があるのか?」と思っていました。
しかし、実際にやってみると、町田市立総合体育館に 1909人 ものお客さんが集まりました。
それまで、プレーするだけでも楽しかった僕にとって、初めて「応援の力が、こんなにも自分の気持ちを高めてくれるんだ」と感じた試合でした。
試合は前半を0-1で折り返し、後半には追加点を許して0-2に。しかし、ピッチに立っていると、なぜか 「負ける気がしない」 と思えた。
そこからチームは怒涛の反撃を見せ、 5-3の逆転勝利 。
この試合は、ペスカドーラのスタッフもよく覚えているほど、印象的なものになりました。
そして、僕は 「SNSの力はすごい」 と実感し、本格的に発信活動に取り組むようになったのです。
もちろん、発信を続ける中で、失敗や人に迷惑をかけてしまうこともありました。
紆余曲折を経て、ようやくここまで多くの方に認知していただけるようになりました。
僕の人生を彩り続けてくれた フットサルの魅力 を、もっと日本に広めたい。
その思いを胸に、これまでも、そしてこれからも発信を続けていきます。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。